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NEWS

2025.10.21

パラオ大統領 スランゲル・S・ウィップスJrさんと武田一義(原作・共同脚本)の特別対談を実施!

今年5月29日に『ペリリュー ー楽園のゲルニカー』の舞台、ペリリュー島が所在するパラオから スランゲル・S・ウィップスJr大統領が来日!
武田一義との対談が実現し、戦前から続く日本とパラオの深い関係、そして未来に向けた話を、作品を通じて話し合いました。

以下、対談時のレポートになります。

武田一義(以降武田): こんにちは。漫画家の武田一義です。

スランゲル・S・ウィップス・ジュニア パラオ大統領(以降大統領): こんにちは。まず日本とパラオが共有し、両国を繋ぐ漫画を描いて下さり感謝します。

武田:ペリリューの戦いについては元々知っていたわけではないのですが、10年前の4月に、戦後70周年のタイミングで日本の天皇・皇后の両陛下がパラオを慰霊訪問された報道を日本で見ていて、初めてペリリュー島の戦いのことを知るに至り、興味を持ったというのがきっかけです。実際に漫画を描いたきっかけも、平塚柾緒(ひらつかまさお)さんという、元兵士たちの取材を続けてきたジャーナリストと話す機会があり、実際にペリリュー島で戦った兵士が当時どんな様子だったか、どんな話をしていたかなどを聞けたんです。そこに自分たちと何ら変わらない“普通”の若者の姿を見ました。そう感じた時、日本兵や軍人さんなど、当時戦争していた人たちのお堅く異質な存在が、自分と変わらない“普通”のイメージに変わっていました。それが第二のきっかけとなり、『ペリリュー〜』を描きたいと思ったんです。

大統領: すでに戦後80年が経ちましたが、ご存知のようにペリリューはパラオの一部です。そして当時のパラオは日本の一部でした。そこで映画化される意味は両国が共有する歴史に光を当てることです。彼らが実際にどんな体験をしてきたのか。最近ペリリューの歴史を知りたいという方々と過ごす機会がありました。彼らはペリリューの戦いが最も過酷であったと言います。両陣営の兵士が必死に各々の国を守ろうと戦っただけで、彼らも今の若者と同じ、“普通”の若者だったと思います。人を大切に思っていたからこそ、その人間性を描くことが大切でした。私たちも両国の似ているところ、共有できる歴史を知る必要があり、忘れられてほしくないのです。

武田:ペリリュー島が小さな島だということは知っていましたが、現地に赴いて、その小さな世界で多くの兵士が戦った痕跡が今も残っており、今も人がそこで生活しているのを見ました。少し離れると戦争の痕跡がたくさん残っていることに驚かされます。まだ未処理の不発弾や機雷があり、回収されない遺骨や、そうした影響を目の当たりにして、私が知らなかった戦争の歴史、つまり実際のペリリュー島を知ることができた気がします。それでも戦争の傷跡が島から消えていないことに心を痛めます。

大統領: あなたが言う傷跡はよく分かります。戦いの証拠や痕跡を日々目にするからです。戦争中、島には木が全く残っていなかった。現在島に行けばそこら中が森に覆われています。つまり誰もが癒され、立ち直ることができるのです。その時間を思い出させるものでありながら、癒され、立ち直れるのです。彼ら(兵士)がパラオを再訪できるようになってこそ、立ち直り、平和を目指すことができる実感があります。和解、平和への願いこそ、求めるべきものです。このような戦いが二度と起きないように。

武田:個人的な興味ですが、大統領は戦争が終わって生まれた世代だと思いますが、ご両親や、お祖父さん、お祖母さん、当時の日米の戦争に巻き込まれたパラオでどんな戦争体験をされたのですか?

大統領:それを言うと、とてもユニークな立場ですね。母はアメリカ出身で、祖父、つまり私の母の父ですが、戦時中はバージニア州で飛行機を作る仕事に従事しました。父はパラオの出身です。そんな父の父親は、彼が1歳の時に亡くなっています。戦争の前ですが祖父が必死に生きようとしていた話を父から聞かされました。北部のバベルダオブ島の森で、爆撃や戦闘機を避けながら隠れ、夜は食物を手に入れるために出て、必死に生き残ったそうです。でも忘れがちですが、ペリリューが戦場となった時、すでにパラオ人はいなかったのです。日本の兵士はそこが戦場となると分かっていたため、パラオ人を守ろうとパラオ北部へ移しました。戦いに備えながら市民を守られなければと。戦後70周年にあたる年、アメリカがペリリューへの上陸を開始した9月15日と同じ日にペリリューでの式典に立会いました。その時私は戦後初めてアメリカ軍兵士、日本兵が初めて顔を合わせるのを見ました。和解し、それぞれが赦そうとする姿勢を。互いに憎み合っていたわけでなく、ただ自国を守ろうと戦っていたわけで、自国を愛するが故です。だからこそみんなが平和に暮らすことの大切さを感じなければなりません。特に緊張感が高まるアジアの混沌とした現在でも。私たちの島々では変わらないかもしれません。アメリカが飛行場、港を整備し、レーダー施設を建設する。私たちは地理的にそんな渦中にあるのです。ただ私は国民に改めて認識してほしいと伝えるようにしています。観光も大切ですし、平和を守るベく意思を強く持ち、みんなで働きかける必要があります。だから日本とパラオを再び繋いでくれる武田さんの作品は大切です。たくさんの方にパラオを訪れてほしい。パラオには日本の祖先がたくさんいて、人口の20%が日系です。妻の曽祖父も日本人でした。“トクベツ”など1000以上のパラオ語は日本語が起源です。キッコーマンの醤油も日本を除けば世界有数の消費量です。生活の中で教える多くの事はかつて日本人が教えてくれました。最初の学校建設も、野球を教えてくれたのも日本人です。パラオで野球が始まって100年です。歴史を共有し、繋がりを強めながら平和への働きかけなど様々なプログラムがあります。同じ人間として、みんなに心があり、互いに共有しているのです。

武田:漫画の時もそうですが、戦争を詳しく知っている人より、全く知らない若者や子供に知ってほしいと思うんです。アニメも、アニメでなければ見ていないという人に届ける力は強い。戦争に触れたことがない若者や子供に、まずこういうことがあったと知ってほしいんです。僕の漫画の主人公はデフォルメされていますが、そこで描かれていることはリアリティーがあると思うのでそれを知ってもらいたいですね。

大統領: 若者が理解できることは大切ですし、理解しやすいという意味で漫画というメディアは素晴らしいと思います。歴史から学び、過去に起きたことを繰り返さないようにするために歴史は重要です。ペリリューの歴史も、漫画というメディアを使いながら、パラオと日本の人たちの繋がりを見出し、できればたくさんの日本人がパラオを訪れ、歴史を学んでくれると嬉しいです。ダイビングの楽園としか知らない人もいますが、どれだけ近い存在か知ってもらえると嬉しいです。

武田: 本当にそうです。

大統領: パラオで“マンガ”は“コメディー”を意味しますが、映画、またはストーリーテリングで大切なのは、人と人が繋がれるように理解し、実際に繋がることです。私たちが望むのはみんなが平和に暮らせる世界です。島にいた若者たちもみんなそうしようとしていたのだと思います。自分の国を愛し、自分なりの方法で守ろうとしていたのだと。だからこそこうした物語が共有され、伝えられることが大切です。いつかペリリュー島に平和記念館が作れたらいいと思います。大切な物語を伝え続けられるように。なので武田さん、そんな物語が消えてしまう前に残そうとしてくれてありがとう。おかげでこうして共有できました。タイミングは本当に大切です。ペリリュー島を通して、彼らにもう一度生命を与えて下さり「ドウモアリガトウ!」